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掃除をしていると、電話があり、お客さんが来ることになり
ました。野々花に教えると、大喜びです。留寿都にいるときに
お世話になった方で、お子さんが今は二人おられます。
午後になり、かわいいお客さんがいらっしゃいました。
野々花の卒業をお祝いに来て下さったのでした。初めは
お母さんにべったりでしたが、次第に慣れ、最後には
一緒にままごともしてくれ、野々花も大満足です。
立派な花束をいただきました。「写真、撮る。」と
言って喜びました。
ままごとのときに姉妹げんかになり、下の子がちょっと
泣いてしまったことを気にして、帰った後も「泣いたね。
(涙を)拭く。」と言っていたりもしました。
長い冬も終わったので、ちょくちょく会えたらいいね。
「あと5回寝たら、にいちゃんとこ行く。」と昨日言っていました。
(兄ちゃんは29日に帰省することになっていて、正しくは兄ちゃんを
「送りに行く。」なのです。)一夜明けた今日、「あと4回寝たら~。」と
言うので、すごい!と思ったのですが、そのときだけでした。その後は
「あと2回~」とか勝手なことを言っていました。
さて、その兄ちゃん、明日帰省のはずが明後日になりそうです。野々花は
すっかり、明日会えると思っているので、明日のご機嫌がおそろしい・・・。
卒業後、久しぶりに学校しました。今日は離任式。
お友だちや先生に会い、嬉しかったけれど、また、寂しくなった
のかもしれません。帰宅後はご機嫌斜めなのでした。
夜は父さんも母さんも送別会に出掛けたため、野々花は
あらたのしほちゃんと綺羅乃湯に出掛けました。
野々花は綺羅乃湯の減額認定を受けているのですが
その証明書が見あたりません。前回は4週間ほど前に
入浴したはず。もしかして・・・と思っていたら、やっぱり
綺羅乃湯に忘れてきたようです。フロントで預かって下さって
いました。ありがとうございました。
前回入浴した晩に、父さんは救急車を呼んだのでしたね。
あれからもう一ヶ月です。
半年に1度の歯科検診。「歯医者さん、くる。」と野々花は楽しみにしていました。
検診の結果、虫歯はなしです。歯ぐきの状態も前回より良くなっているそうで
ホッとしました。
野々花は遊んでもらおうと「ままごと、しよう。」と誘っていました。以前に「今度
一緒にままごとしてあげる。」などと言われたことが、残っているのでしょう。
次回は夏休みの頃ですが、この事業も今年度で終わりかもしれないそうです。
いよいよ、歯医者に出掛けなくてはいけなくなるかもしれません。
夕食後、「アレシテコレシテ」とうるさいのの。ipadを見せていると気分が紛れるようです。写真はYouTube。B.B.KINGとEricClaptonの共演ビデオ。Rock me Babyを見ています。王様と神様の共演。ののにしてみれば、王様もただのギョロメのおじさんのようです。B.B.KINGが目玉をギョロッとさせて歌うたんびにゲラゲラ笑って、「ギョロメノオジサンコワイ!」と喜んでおります
ちなみにそのビデオは下記アドレスで見られます。
単純なコードで気張らないブルースは見ていて楽しいですね。
古い友人から 野々花の卒業祝いにバラの花束が届きました。大きな段ボールに入ってきたのでなんだろうと思って開けてみると立派な花束。びっくりしてしまいました。花好きの 野々花はそれが自分のために贈られてきたとすぐにわかるようで、「ミセテ!カザッテ!シャシントッテ!」と忙しく言うのでした。うるさいけどとってもかわいいです。
野々花も小学校卒業です。ここのところのかあさんの日記に書いてあるとおり、複雑な気分の私です。嬉しさよりも寂しさの方がとても強いです。障害のある子ども達の卒業は喜びよりも不安の方が大きいものだと聞いていましたが、まさにその通りです。
野々花の義務教育もあと3年。ここまで本当によくしてもらって、行政・教育の面でしっかりサポートを受けていると感じています。 野々花の社会参加や地域参加へ向けて、本格的に動かないと3年後 野々花は行き場が無く、家に引き込まざるを得ないかもしれません。勝負の3年間が始まります…。
遠くから見守ってくれている友人に感謝です。頑張ろうと前向きになりますね。
昨夜、目をさました野々花が発した言葉は「先生、呼んできて。」
いつもは「父さん、呼んできて。」なのに・・・。父さんはこれを聞いて
「もう、切なくて・・・。」と、朝になっても言っていました。
気分転換に、ドライブに出掛けました。買い物をすませ、遅い昼食の
後は、温泉です。じゅらんの半額温泉特集で洞爺湖温泉にしました。
(去年はサンパレスでプールと温泉を楽しんだ気がします。)
駐車場がいっぱいになるので公共の駐車場を利用してくれと言われ、
父さんが駐車に行きましたが、バギーの野々花を見て、係の人が
鍵を預かり、その車をわざわざ玄関前に持ってきてくれました。
先に一言こちらからお願いすればよかったですね。
檜の浴場でした。内湯は熱めですが、露天風呂はぬるめでゆっくりと
お湯に浸かれました。野々花も気持ちよいのでしょう、「こんにちは。」と
先に入っていた方に声をかけます。その後二人きりになり、また、新たに
入ってきた方には「いらっしゃいませ。」と声をかけていました。
家に戻って車から降りるときには「楽しかったね。」と言っていました。
小学校の卒業式でした。いつもより早めに登校し、アルバム用の
集合写真の撮影があったりしました。中学校の制服に身を包んだ
お友だちは急に大人っぽく見えました。
式場のステージ中央にはスロープがドンと設置されていました。
野々花が卒業証書をみんなと同じようにステージで受け取れるように
製作してもらったものです。感激と感謝でいっぱいになります。
練習とは違って本番の今日は、何度も声を発する場面があり、
最後まで、先生に甘えていました。いえ、最後だと分かるから
甘えていたのかもしれません。式の後、6年生教室で担任の先生方に
贈り物をするときに先生が前に出ると、電動で動きたいと言い、
スイッチを入れると先生のそばに移動していくのでした。離れたくないと
いわんばかりです。
1年生、2年生の時の担任の先生も参列して下さいました。
忘れずにいて下さり、ありがたく思います。みんなの
大きくなった姿にびっくりされたことでしょう。
2年生の時に産休に入られるJ先生が最後に子どもたちに
「ののちゃんのことはみんなに頼んだからね。みんななら
大丈夫なので安心して任せられます。」と話していた通り、
お友だちは野々花のよき理解者でした。次々と担任の先生が代わり、
先生方はきっとお友だちから教えられることもあったと思います。
お友だちは今日も、野々花の声に動じることはありませんでした。
退場の時には、声をかけながら、触れていってくれたりするのです。
お友だちも先生方も、学校全体で「野々花はそのままの野々花でいい」
と、受け止めてもらったと思います。それゆえに、卒業は、寂しいです。
しばらく気力が戻らないかもしれません。
よい小学校生活を送らせてもらい、感謝してもしたりないくらいです。
ひとつ残念なことに、集合写真はたくさん撮ったのに、担任の先生や
お友だちと写真を撮ることを忘れてしまいました。がっがり。
中学校はどんなことが待っているでしょうか?楽しみにしましょう。
明日はのんちゃんの卒業式です。楽しい思い出をたくさん作ってくれた小学校ともお別れです。そしてまた、 野々花を愛し、かわいがってくれた先生方ともお別れです。
卒業式前日の今日。たくさんの作品を持ち帰ってきたのの。どれも思い出深い物ばかりで見ているだけでも熱いものがこみ上げてきます。そして、お世話になった先生方、一人一人からいただいたメッセージ。 野々花がどんなに小学校生活を幸せに過ごせたかわかります。
ゆっくり静かに見て余韻に浸りたい…。そう思いたいのだけれど…そうはいきません。
写真はかあさん。娘の晴れ姿のために着物を着ています。そうです。着付けをしてくれる人がいないのでののを寝かせてから練習しているのですよ。「30分はかかる」「朝食を作って食べさせて…。5時半には起きないと」鬼気迫る迫力です。ちなみの役に立たない私は、帯の形を整えたりするのが役目。やったこともないし、着物の帯がどんなふうに結ばれてあのような形になっているか、その構造すら知らないのに「あーして!」「そこの丸みを平らに!」などと言われています。
ばたばたばたと忙しい夜です。着物を片付けたかあさん。今度はのんちゃんの素敵な衣装にアイロンをかけております。(先生からお借りしたスーツです!)
でも、できればこのまま時間が逆戻りすればいいのに…などと少女のようなことを想ってしまう私です。学校が大好きだったのの。先生が大好きだったのの。友だちが大好きだったのの。 野々花にとっての卒業はそのすべてがそろう小学校を去る日なのです。まだまだ先でもいいよ!って私は思うのです。
明日は号泣間違いなし…。つらいです…。
「おみやげ。」と言って嬉しそうな野々花です。夕食後と
いうのに、いつまでも食べたがるのでした。
今日はあらたのしほちゃんとあそぶっくによって帰宅。
しほちゃんが片付ける間、座っているように言われ、
いつもは横になりたがり、姿勢を崩すそうですが、今日は
ちゃんと座って待っていたそうです。そして、その後ちゃっかり
「シール。」とごほうびシールのおねだりをしたそうです。
野々花なりにめあてをもって頑張ったようです。
学校では卒業式の練習でもしっかりとやっているそうです。
卒業のイメージをしっかり持って臨んでいるのでしょうか。
明日は最後の授業日。いよいよ、近づいてきました。
学校では卒業を前に、特別支援学級のお友だちで卒業おめでとう集会が
ありました。外でアイス作りをやるということで、野々花は楽しみにして
登校していきました。
アイスも上手にできたそうです。お腹いっぱいになるまで食べたようです。
久しぶりの外の活動で楽しかったのか帰ってきてからも「バギーは?」と
言っていました。
明日は、6年生のお楽しみ会があるようです。卒業まであと4日。
工房椅子、パンダの業者さんが函館から札幌に移動の途中に
立ち寄って下さいました。野々花は朝から「来る?」と気になっていました。
さて、サイズアップのパンダに乗せてもらいました。大きいサイズなので
社長さんの椅子のようにゆったりしています。野々花もすっぽりと
おさまるように座っていました。次に、現在とと同じタイプのシートに
座ってみると、慣れてきたせいもあってか、おしゃべりも動きも出てきます。
動きは、野々花の大切な主張のひとつではないかと思われ、現在と同じ
シートのタイプにすることにしました。
「お見送りする!」とすっかり業者さんに親しみを感じた野々花です。
尿管結石からようやく解放されました。体外衝撃波尿路結石破砕術なる治療を受けてきました。月に1~2人ほど治療される患者さんがいるとのことで、小さな町ですが、あの激痛に苦しんでいる人が他にもいるんだなあと思いました。
レントゲンやたCTやらで石の位置を確認し、治療開始。通された部屋は旧病棟で普段は入ることができないところです。暖房の利きもあまりよくない薄暗い廊下を歩いて通された部屋には真ん中がくぼんだ大きなベット。そこに上半身裸で仰向けに寝かされ、上方に設置されたX線のカメラで再び、石の位置を確認。ここにきてなかなか見つからず、20分もベットをずらされつつ、待たされました。心電図やら血圧計やら酸素の濃度測定やら、いろんなものをつけられ、なんだか落ち着きません。
ついに場所が確定。ベットのくぼみにお湯が貯められ、その下から衝撃波やってくるようです。お湯は密着させるためのようで空気が入っていると衝撃波がつたわらないそうです。
ドン!と重たい衝撃がくるものとばっかり思っていましたが、やってきたのは、輪ゴムをぐっと引っ張って、そのまま肌にぶつけられたような鋭い痛み。さらにそれが体に当たる瞬間に電気を放つようなしびれと、肌の奥にズンとくる感覚。背骨付近だったので、背骨に重い痛みが走ります。これが2秒おきほど正確なリズムで30分続きました…
最初の一発目はかなりびっくりして思わずからだがのけぞりました。あとはひたすらその苦痛と闘うだけ。少しずつ位置を変えたり強さが変わったりしながら30分。看護師さんが音楽をかけてくれましたが、そんなもの耳にする余裕もなく…。もうかんべんして~と思う頃ようやく終わりました。無意識のうちに背中が逃げていたかもしれないなあと思いましたが、治療は問題なく済んだようです。
その後、痛みも再発することなく、翌朝、コロンと石が出てきました。幅1mm長さ3mm程の石でした。こいつがオレを苦しめていた石かあとのぞきながら検尿カップとともに看護師さんに渡してしまいました。もっとよく観察してやろうと最初は思っていたのですが、なんだか、見たくもない!って気分になりました。ま、出てきてくれてよかったですけど。
1泊2日の治療でした。時間はたっぷりあったので、さだまさしの「茨の木」を完読。スコットランドの荒涼とした風景と温かい人々の世界にどっぷりと浸り感涙。大人のメルヘン。あんな旅をオレもしたいなあと思いをはせつつ、心はスコットランドへ。誰もいない病室。心地よい時間でした。
また、じっくり音楽も聴けました。ののがいるとそんな時間はないですからねえ。YES、PINKFLOYD、RUSHと時代遅れの古いプログレの世界に入り込み、ヘッドホンを通して、細かい音に耳を傾け、よくぞそこまでやるもんだと感心しつつどっぷりと浸ることができました。
職場には忙しい中、申し訳なく思いましたが、一人の時間を楽しむことができ、痛みで眠ることができなかった分を取り返し、ゆっくり休養ができたと思います。
たいした治療ではありませんでしたが、かあさんは仕事帰りに来てくれて、治療が終わるまで病室で待っていてくれました。ただ、それだけなんですけど、ま、そういうのっていいもんだと思います。ののは私がいないのをわかっていたようで、健気にいい子だったようです。
それにしても解放されてよかった。お世話になった先生方や看護師さんに感謝です。
こどもっくるの通院日でしたので、兄ちゃんと一緒に札幌です。
兄ちゃんと一緒が嬉しい野々花ですが、兄ちゃんはすぐに眠くなり、
うつらうつら始めます。「おこして!」と野々花は寝かせようとしません。
そのうち「おきろ!」と言っていました。
しかし、小樽を走る頃から「兄ちゃん来る。」としきりに言い始めました。
兄ちゃんが帰ってしまうことに対するさびしさなのでしょう。それでも、
兄ちゃんを車から降ろしたらあきらめもついたのか兄ちゃんのことは
言わなくなり「おしっこ!!」なのでした。
次はいつ会えるでしょうね。
6年生を送る会でした。兄ちゃんが帰省しているので、
家にいたい気分でもある野々花でしたが、「終わったら、
遊んでくれる。」と自分でも言って、学校に行きました。
6年生を送る会が始まる前は、やはり、緊張してしまった
らしく、「帰る。」コールもあったそうです。でも、会が始まると
楽しくなってきてちゃんと参加できました。床座りもしっかり
できていました。最後に一人ずつ決意を発表しましたが、
野々花は言えず、先生に代弁してもらいました。
帰宅後は兄ちゃんに甘えていました。兄ちゃんがクッキーを
作ってくれ、美味しくいただきにっこりです。
勉強をがんばります。」と。ちゃんと言いたい気持ちが
あったのですね。頑張りました。
長ったらしい名前の治療法です。尿管結石の激痛から1週間。今日は検査の日でした。CTとレントゲンと撮って確認したところ石が全く動いていないことがわかりました。毎日水を2~4リットル飲み、1時間に一回トイレでおしっこ…と頑張ったのに、全く動いていないとは…。がっかりです。
で、結局、このままほっておくと腎臓に悪影響がでるとのことで入院してタイトルの治療を試みることになりました。なんでも外から衝撃を石めがけておくり、破壊するらしいです。私の場合、1時間、背中から衝撃をおくるとか。ちょっと怖い感じですが、切ったり刺したりするわけではないので、怖がらずに頑張ろうと思います。
仕事の都合にもよりますが、近日中に入院。その日のうちに治療。経過がよければ翌日午前中には退院できるそうで、お手軽っちゃあ、お手軽ですね。ちなみに石の大きさは3mmほど。なんでそれくらいの石が流れないんでしょうねえ。しかし、その3mmにきちんと衝撃波があたるんでしょうか…。
寝る前に笑顔を向けてくれました。もう、時折目を閉じて
いたのに・・・。
明日、兄ちゃんが帰ってくるのでバースデイケーキの
準備をしたのですが、野々花はクリームの味見ばかり要求するため、
途中で父さんに退場を命じられてしまいました。その後は兄ちゃんの
部屋のベットに横になって、2階の掃除の見守り役でした。
明日は兄ちゃんの帰省が楽しみで、落ち着かない野々花かも
しれません
輸入盤のBDの値段の安さについついネットで購入。何年か前に同じタイトルのDVD(国内版)を買ったけどそのときの値段の1/3で買えてしまう。映像、音ともにDVDとは比較にならない。素晴らしいの一言。ルカサーのピッキング。マイクポーカロの汗。きらびやかなサイモンフィリップスのドラムセット。どれも生で見ているようです。
このあと出たBD Falling In Between LIVE ではマイクポーカロに代わってベースがZZTOPのヒゲのおじさんになってた。どうしたのかと思い調べるとマイクポーカロは2007年にALSを発症し音楽界から遠ざかっていることを知った。
このライブは2003年。発症の4年前になる。マイクポーカロの落ち着きのあるベースプレイ。どうしてそんなことになってしまったのか。今はどうしているのだろう。再びステージに立つ姿を見られるのだろうか…。
まだ、尿管結石は回復せず。下腹部に鈍痛があり腹立たしい。早く出てくれるといいのにと思いつつ、家の周りを少し散歩。今年の雪山から我が家を見る。ようやく春の兆し。雪がしまって歩きやすくなった。今日は庭に降りて、雪にすっかり埋まったサクランボの木を掘り起こす。春の雪はどんどん沈み込み、ほっておくと枝が根元から折られてしまう。
それにして、写真の右端の別荘。屋根の雪がすごいね。この冬、落ちているのを見たこと無いから、あの雪は初冬から降り積もった雪に違いない。大きさからして車1~2台分の重さはありそう。下のウッドデッキが壊れなきゃいいけど…。
3月になると春がほんと待ち遠しい。早く玄関前の雪割りがしたいよ。
通勤時はラジオを聞いています。
野々花にはお気に入りがあります。8:13頃各地のニュースになる前の音楽です。
朝の支度がスムーズで家を10分前に出られるとその音楽を聞くことができます。
最後に高い音で「ピッ!」と終わるのが好きで、ニコニコになります。
「もう一回やって!」と言うのですが、そういうわけにはいかないので、母さんが
何度もまねをさせられることになります。
今朝は間に合いませんでした。
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